Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

荷台

 3年ほど前、現在の自転車を購入の際、もともとは荷台のない仕様だったが、店員に荷台の設置を相談し、設置可だろうということで迷わず荷台を付けてもらった。いわゆるママチャリとスポーツタイプの中間のような自転車だが、このタイプだと荷台のないものが殆どなんだと、その時初めて意識した。
 何でこんなにはっきりと荷台に拘ったのかといえば、おそらく、幼少時から身近だったのが関係しているだろう。胡坐をかけばいいところを、つい正座して、そのうち足がしびれるのだが、その直前まではむしろ胡坐よりも楽ちんというのに似ていなくもない。それくらい、幼少の頃の行動や見聞きしたものは影響を持ち続けている気がする。
 3歳になるかならないかの頃、私は自転車を漕ぐ叔父の背中にいたことがあるらしい。もちろん、この自転車にも荷台はあったはずだ。幼過ぎると荷台というわけにはいかないのだなと少し可笑しくなる。向かっていたのは病院で、父親が私に八つ当たりして私を放り投げたところ、私が手か足を骨折したということだった。もちろん、全く記憶にすらない。誤解を恐れずにいえば、「ひょっとしたら、幼少の頃に亡くなる方が、物心付いてからよりかは楽かもしれないな」と一瞬浮かぶような出来事だ。全く~ないといえば、この出来事について、全く父親を憎んだり不信に思ったりしていないのも事実だ。
 もう少し年を取って、小学校となると、友人に呼ばれて、キャンプに出掛ける際に父親の運転する自転車の荷台に乗るということがいよいよ登場してくる。車もあったのに、どういうわけか、荷台で現地まで送ってもらった。私を降ろして「ありがとう。頼むね」のようなことを友人に父親が告げていたかと思う。挨拶を済ませると、そのまま帰っていった。
 また、これも私が小学校の時だと思うが、父親が祖母を荷台に乗せて病院に向かっていたことも覚えている。頑強な祖母だったから相当珍しいことで、たった一度のことだったが、どうも体調がすぐれなかったのを父親が気にして「早く乗れ」と慌てて、自転車を漕いでいった。男性と違って、横向きに荷台に腰掛けた祖母の姿を見送ったのを覚えている。
 在宅勤務がすっかり日常化した一方で曜日は変わらないままの資源リサイクル回収の日の今日、空き瓶や空き缶を前篭に入れ、古紙を荷台に括り付け、昼過ぎの陽光煌く街中を自転車を押して会場に向かった。先日、有給で平日の昼日中の呉を歩いていたら、高齢の女性から訝しげな視線を浴びることがあったのを思い出していた。その視線は、荷台のように昔ならもっと身近だったものだ。「まあ、若い者(もん)が(あるいは『若い衆が』)、昼日中に働きもせずに(あるいは『学校に行かずに』)こんなところで何をしよるんぞね?」といったセリフと共に、その視線は対象者に向かうこともあった。多様な勤務形態や生活スタイルといったことも多分に影響してか、ダメージジーンズ姿の私を通り過ぎる人は学生だけではなかったが、誰からもそんな視線は向かってこなかった。
 大型ショッピングモールの駐車場の一部に設けられたリサイクル会場から、続いてランチ目当てで、チェーンの喫茶店に向かった。入店して、「おっ!」と思うことがあった。ふと見ると、いつも午前中の時間帯ならこの店の店員として勤務しているおばちゃんが、勤務後ということなのだろう、私服姿の一客として、食事を終えようとしていた。ここまでの回想や行動が影響したのだろう、「連続と断続、否、断続の連続というべきか」と思った。「さっき回収してもらった瓶のガラスとて、次回再生される時に、再び瓶のガラスになるとは限らない。でもまた瓶になるかもしれない」と。ビジネスライクな格好も含む制服を着ていようがいまいが、制服と私服の両方を着ていると見做されることがある。これがずっと続いている状態をして、日常というのではないか。ガラスだって、瓶は制服か私服か?と考えれば、一体どちらか分からなくなる。でも、両方ある状態だというなら少し落ち着く。私服と制服、連続と断続、断続の連続、さらには連続の断続。いずれかのみに限定できない。自転車の荷台の上のように、揺れている。漕ぐ人は誰か?これももちろん、特定の誰かのみに限定はできないだろう。