Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

ふとフット

 70日程度この場所で毎日文章を記録するということを続けているだけでも、自分の文章の癖を否応なく突き付けられる。向き合うしかないし、こうして口にしなくてもいったん癖に気付いた自分をごまかすことはできないので、良い機会である。例えば「ふと」というのも多用していると思う。たとえ書き残さなくても、使おうか迷っていることは多い。今日は、こうした自分の癖について書き始めるのかといえば、かならずしもそうともいえない。
 というのは、足について書きたいと思ったからだ。ふとだけにフットとは頭の中に浮かんで、こうして書いているが、直接的な契機は、本日足が痺れたことだった。JR関西本線快速で亀山から名古屋へ向かう途中、止むを得ず人のいない最後列でしゃがんで太ももの上にノートPCを置いて作業をしていたら、30分も立たないうちに「これは立ち上がったらあの嫌な感じが襲ってくるな」と分かる状態になった。でも仕方がない、前方に空席が生まれたのが分かったので、徐に立ち上がる。数秒後、あの嫌な感じの渦中にいる状態となった。情けなくも、すぐに自分への怒りが沸き上がってきたのが、今となっては可笑しい。「なんでこうなるのが分かっているのに、しゃがみこむかなー?」という苦情の形をした怒りだ。
 そういえば、正座というのは慣れがないものだなと改めて気付く。回数と共に痺れないようになるなんてことが、私に限ってかもしれないが、ないからだ。大学1年の頃、帰省したら、ませた1歳上の高校の同級生が値段の張る靴を買うのに、「40歳とかになって仮に太ったとしても、足の大きさは変わらんからな。いいやつを買うのよ」と自分に言い聞かせるように呟いていたことを久しぶりに思い出した。足はいわば初心のような状態を忘れないということか。ともあれ、せっかく思い出したし、久しぶりに連絡してみようかと思った。こういう心境の変化は、自分が足だけで成り立っていないことの証明でもあるが、まあそんなのは褒められたものではない。
 近所に、ほぼ毎日渡る歩道橋がある。大型スーパーへの近道には必須だからだ。この歩道橋には幾つか踊り場があるが、その中に必ず左足から着地となってしまう踊り場がある。意図せずそういうことが続くと、歩き方や歩幅の癖が影響しているのだなと考えるが、本当にずっと年単位でそうなので、今後右足で着地することがあると、何か嫌な予感を覚えるに違いない。四葉のクローバーのように、滅多にないことをいいことと捉えることができるように、この場所でも自分の癖を時々は眺めつつ、癖を追い越すことだってできるよう、文章の歩幅を変えたり、跳躍もさせたいと思った。