Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

お墓

 友人の車で送ってもらい、前日の飲酒から来る軽い頭痛を抱えたまま、実家のお墓の掃除をしていた。幼馴染の友人のお父さん(以下、おじさん)が、お墓の周囲の掃除をしてくれていることが昨年分かってから、意識的に掃除する回数を増やしている。昨年、お墓の前で6年ぶりくらいに再会したのだが、幼少の頃、毎日のように見掛けていたおじさんは、そのお父さん、つまり友人のお祖父さんにかなり似てきていて、当然なのだとしても不思議な、これって現実?といった気持ちになった。随分のんきなことを言っているのだとしても、いきなり悲しい気持ちになったわけではなかった。帰宅後、時差の爆発音のように、悲しい気持ちがやってきた。
 それから、単純にまた会うのが楽しみになった。その気持ちに応えてくれたかのように、それから三ヵ月も経たないうちに、お墓の掃除中、おじさんが通り掛かってくれ再会となった。今日は会えなかったが、そのうち、また会うのは間違いないと思うからか、寂しい気持ちはそれ程湧いてこない。そもそもだが、家も近く、自分から挨拶に行けばいいではないか?と自分に突っ込みもする。でも、それは照れ臭い。間が持たない気がする。また、おじさんの奥さん、つまり友人のお母さんや、友人に会うのも緊張する。ちょっと考えただけでも、行きたくない気持ちなら溢れ出てくる。
 今日は、前回の掃除から約二ヵ月経っていた。前回飾ったしきみの花は、枯れるどころか力強く緑の生命力を漲らせていた。水を注ぎ、新たにしきみの花を追加すると、かなり窮屈になった。ソーシャルディスタンスの概念が植物にもあったら、怒られるところだろうが、まったく間がないわけではないことを言い訳にして、そのままにした。お墓の前の通り道には、しきみの落ち葉だけではなく、様々な草が生えていた。昨年から積極的にむしり取っており、今回もそうした。途中で、白い小さな花びらを持った草を見つけた。このままにしておくべきでは?と思ったが、お墓の掃除に来たのだからと、同じようにむしり取った。摘んだというべきか?と思ったが、むしり取ったのままにしておくべきな気がした。いつか、摘んだことにしたい気持ちがあるのに気付いた。