Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

ドライヤー

 半世紀近く前なら、相当昔だともいえるが、たった50年ほど前の最近ともいえる。ドライヤーを思い出して、こう書きだした。4、5年ほど前に昔のドライヤーのことが気になったが、そのまま放置していたのを思い出した。1970年代のドライヤーは、我が家のそれも親戚の家のそれも、金属製の細い筒でできており、その風力は、現在のものと比べると半分以下に感じるくらい、弱いものだったと記憶している。色々な製品や商品の誕生とその変遷を注視してきたわけではないが、囲まれたり、囲んだりして、つまり一緒には生きてきた。そういう視点からすると、50年ほど前のつい最近のことなのに、まだそんな風力だったのか?とまず疑問が浮かんでいた。今もその疑問は変わらずにある。
 ただ、当時から風力が弱いと感じていた記憶はない。あくまでその後の経験から導かれた感想だろう。その当時は、ドライヤーを使ってもヘアセットには時間をある程度要する、というのが共通認識だったのかもしれない。幼稚園児だったから、ヘアセットの悩みが生活の中にあったわけではないが、よく行く親戚の家で従兄が5歳くらいだった私の髪を、体感にして数十分かけ、いわゆる「天使の輪」が生まれるボブヘアにしてくれたことがあった。これは、わりとはっきり覚えている貴重な記憶の一つだが、ヘアセットには技術も必要だという認識が現在よりはまだ多く残っていた気がする。自分ではないような、その後二度とそこまでの、ブライアン・ジョーンズのような髪型になったことはない。見事な技術だった。
 3年半程前にベルリンに行った時、リラックスできるが洒落ているだけではない機能的なホテルに泊まった。その浴室で、前述の幼少の頃に当たり前にあったようなドライヤーに遭遇した。それは、少なくとも1980年代以降目の当たりにしたものの中で、一番幼少時のものに似ていた。銀の筒だった。おまけに風量も弱かった。懐かしさと嬉しさを覚えながら、「ドイツ=機能重視のはずなのに?」と疑問が浮かんでいた。そして、「ある程度時間を要するということ自体を機能の一部として取り込んでいるのではないか?」と考えた。普通過ぎるかもしれないが、ストレートパーマの直毛ではなく自然な直毛といったくらいには、違和感はなかった。腑に落ちた感じがあった。
 レトロという言葉やその対象となるものを、それ自体で嫌いになるわけではないが、レトロという括りで特定の物や様式が提示されると、抵抗を覚えることは少なからずある。レトロのフィルターを外してみたくなるのだと思う。今回のドライヤーも、私にとってはレトロではない。頑張って形容するなら、時間を超えてきた風のようなものだ。風だとしたら、乾いた風というのでは嘘っぽいが、湿っぽいわけではない。思い出したことで、乱れたというよりは、セットされた気になる類のものだ。昔から今に向かって吹いてくるドライヤーというのも、面白いと思った。