Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

温泉

 最近とあるきっかけで、温泉について考えることになった。それほど時間が経たないうちに、「温泉とは、人やその他の生き物を癒すだけではなく、怒りを帯びているというか加虐的な側面も持つのではないか?」という問いが浮かんできた。湯あたりという事象があるが、それだけではなくもっと攻撃しているのではないか?と思った。涙を流しているのではないか?とも思った。
 入浴といった形で、直接肌や身体の一部が触れていなくても、温泉は人やあらゆる生物が住まう外気と触れている。つまり、外気が入浴している。それに対し、何らかの反応を返すわけだが、この点において癒すという反応だけがあるとはとても思えなかったのだ。温泉の質には外気もまた関わっているわけで、その温泉に癒されたり湯あたりになったりしている人間は、自分自身の行動が跳ね返った反応を得ていると思った。温泉と人間とはお互いに入浴し合う関係というわけだ。
 すぐに、「それは温泉に限らず当てはまる関係だろう?!」と突っ込む自分が現れる。運命共同体という言葉は使い古されたイメージを覚えるが、この喩えには、これまで船等乗り物が持ち出されることが多かった気がするので、これを温泉に変えてみると、少しこの言葉が若返った気がする。これもまた温泉効果か。
 さて、その成分だが、昨日の考えがまたここでも影響を持って登場してきた。それは、意識もまた既存の成分に影響を与えたり、あるいは成分そのものにもなるのではないか?という想像だ。こういう風に考え始めると、水や空気も含め、あらゆるものが、お互いに影響を与え合っているという当たり前の考えに行き着く。ではその現状はどうか?となると、今のところ上手くいっている気もするし、そうでない気もする。温暖化一つを見ても、上手くいっていないと考えるのが普通かもしれないが、その上位にまだ何かあるような気がしてくる。温暖化自体が何かの新陳代謝的な役割を果たしているのではないか?という問いも浮かぶ。入浴することにする。今日は自宅の風呂が、かなり温泉に似たものとして体感できることだろう。