Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

再訪から初訪に向かう道のり

 旅行や出張といった宿泊を伴う移動で同じ場所を繰り返し訪問し続けていると、その周辺に点在する宿泊先を意図せずとも網羅していることがある。私の場合、京都駅周辺の安宿と呼ばれる場所、多くはホテルがそうだ。
 今朝、ホテルからチェックアウト後、繰り返し訪れているわりに追い付いていない土地勘を元に、アルコールの残る頭でうろちょろしていると、そうした以前の宿泊先を幾つか通り過ぎていて、変な感じを覚えているのに気付いた。その変な感じを説明するなら、まるでその部屋での時間を忘れている場所ばかりだが、懐かしい気もするし、新鮮な気もする、でも変わらないのは大体平気でその前を通り過ぎることができている、決して非情にもというわけではないのに、といったものだ。その感じと似たものは、自分の生業においても発生している。業務のあるプロジェクトが終わると、それまで打ち込んでいたクライアントという名の取引先が時間と共にこうした過去の宿泊先に似てくるというか、その相手のことや相手とのやり取りや思い出を意識はするが、やがて普段忘れている度合いが高い類となり、通り過ぎる対象に変わっていくという流れがそうだ。「終わってしまえばいい思い出」という言葉は、昔から散々見聞きしてきたが、それでは素通りしてしまっている光景に溢れているように思える。
 ならばと、現実にはなかなか起こり得ないことだとは思うものの、一定範囲の中にある住宅、民家全てが宿泊可能となり、そこを次々と泊まり歩いている自分を想像してみた。個々人との関係性がホテル等商業施設の比ではなく発生し、そうなると、先程の一連の流れの速度や向きが変わってくるのでは?と思ったのだ。でも、想像を開始してすぐ、それでも忘れていくのだろうと思った。もちろん、幾つかははっきりと忘れずにいつでも鮮明に思い出すことができるし、強烈に意識せずには目の前を通り過ぎることはできないくらいの対象は生まれることは十分考えられる。それでも、それは稀だと思ったのだ。
 この場所で、様々な記事に書こうとした意図や題材もこの事象と似ていると気付く。現時点でも、既に書いている気もするし、書いていない気もする、確信が持てない意図や題材が複数ある。それだったら、と思った。書きたいと思うのだったら、躊躇せず、過去に書いていようがいまいが、この場所で書き始めようと思った。再訪から初訪に向かう道のりもそこにあると。それは、後戻りできない時間の中にあって悪いものでは決してないと思った。