Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

プール

 もう3年以上泳いでいないことが、この3年で初めてと言っていいくらい、残念な気持ちとして思い浮かんだ。安価なスポーツクラブに入会していた以前なら、仕事帰りの21時過ぎだとちょうど泳ぎ始めたくらいの頃だ。連日ではないが、探り探り時間を捻出して、なるべく通おうとしていた。というのも、予定通りに進まない業務にまだまだ翻弄されており、明日寄ろうと思っていてもその通りにならないことがままあったからだ。
 何故今日に限って泳ぐことを思い浮かべたのだろう? すっかり春めいた天気と、新年度が始まることでのリセット感、そしてこのコロナ禍といわれる状態の、表面的であるにせよ、落ち着いたように体感できる雰囲気のせいか。いずれにしても、泳ぎたくて泳いでいるわけではないということが浮かび上がったようで、「それは違う」と否定したくなるが、自分はごまかせない。
 考えてみれば、元々の範囲に、幼少時を加えて良いのであれば、元々、水泳やプールという場所が好きだったわけではない。泳げなかった頃は、体育の授業で水泳となると嫌でしょうがなかった。前日から憂鬱だった。それがどうしたことか、確か小学校3年くらいだったろうか、我流の犬かきで25mプールを対岸まで泳ぎ切ることができた時、楽しかったことをぼんやりと思い出す。犬かきなので、一切顔を水に浸けることはない代わりに息継ぎはせずに済む。まだ、この時は水に顔を浸けることができないくらい、苦手というか恐怖心があったのだろう。
 いつ水面下に顔を潜らせたのか?となると、思い出すことができない。ただ、顔を水面に出し入れすると、犬かきの比ではない効率的で速い推進ができることを身をもって自ら学習し、はまったように思う。とはいえ、クロールの息継ぎは苦手で、3年前に至っても、小学生や中学生の頃よりはましでも改善の余地を多分に残したままだった。最初は問題ないのだが、息継ぎの回数に比例して後になればなるほど、苦しくなるのだ。力み過ぎているのは間違いないだろう。長距離を泳ぐのに、クロールは便利な泳法のはずなのだが、ぜんまい仕掛けかロケット花火のような状態となってしまう。長距離を泳ぐのを一番の目的とした場合、何十年もやっていない犬かきの方が依然有効のように思えてくるくらいだ。
 これは、正しいフォームを身に付けていないからだろう。独学のギターにも似ている。そして、こう言えば、説明が済んでしまう。では何故、正しいフォームを身に付けていないのか? そう自問してすぐ、「自分本位」「急がば回れができない」「手抜き」「楽な方に走りがち」といった大変まずいキーワードを思い浮かべた。いずれも、完全には、自分の中から消滅させることができないとしたら、自分の中で泳ぎ回らないように機能停止する必要があると思った。そのためには、各キーワードの逆に向かって泳ぐのが手っ取り早いと浮かぶ。どこまでも楽な方を志向するのか。しんどい方向だとしても、自分にとっては、必ずその方向に進む方が楽な一面があるということだろう。