Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

トラ・ブル

 生業が傍目にも忙しくなってきたようだ。忙しくなってくると、仕事のパートナーや顧客といった関係者間で目的や問題が共有できるからか、大小問わずトラブルが減ることを改めて実感している。そして、「戦時下もまたこういう状態を生んでいたのか」と想像が浮かぶ。とここまでは日中考えたことで、今、これを書いていて、「戦時中? 世界は繋がったとかインターネットとか5Gとか言いながら、状態の共有は全然進んでいないな」と思った。この類の共有は、能動的にこちらから取りに行くものであって、受け身で得られるものではない、という考え方もあるだろうが。
 再び、昼間に浮かんだことに戻る。続けて、「トラブルが減るというメリットがあるから、人は忙しくしたがる面もあるのか」と浮かび、「忙しくなくてもトラブルが減るようでないといけないし、その逆に、なくてはいけないトラブルもあるはずだ。トラブルの質を変える必要があるということか? そうなると、その質はトラブルの発生数にも関わるのだろうか?」と思った。
 「トラブルということは、固定的な加害者、被害者がいるわけではないだろう?」と、今思った。認めざることだとしても、相互に加害者であり被害者であるから、トラブルなんだと。この地点から始めれば、トラブルの数はぐっと減りそうだと思い、否、正確には、「トラブルとして発生はしたが、それらはすぐに消滅しそうだ」と言うべきだなと思った。でも現実はなかなかそうは上手くいかない。トラ・ブルという表記にでもすれば、加害者と被害者の両方の役割を担っていることを、普段意識する機会も増えるだろうか?と思った。