Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

横切る

 帰宅中、自転車で疾走していたら、小動物が数メートル先を横切った。大邸宅のような新興宗教の施設の敷地内へと消えていった。緑豊かな様子と何より隔絶された感じが住宅街の比ではないので、ごく自然な流れかもしれない。小動物としたが、おそらくは、たぬきだと思う。ハクビシンにしては、からだが色濃く、細長い胴体がくねくねと流動体のように上下していたからだ。
 一瞥して、「こういうことは年に一回くらいにせよ、あるものだな。普段彼らは身を隠して必死で生きているのかもしれないが、それにしても、これほど低い遭遇率とは相当な技術だな。それとも、圧倒的に絶対数が少ないのか?」といったことが浮かんだ。スマホで撮影できなかったことなら何も問題ないと、これは今思ったことだ。その時は、スマホのスの字も湧き起らなかった。続いて、「それにしても、滅多に遭わないとはいえ、遭う時には相当高い確率で、こちらの進行方向に対し直角に横切るよな」と思って、少し可笑しくなっていた。
 これには、人間が同じような方向にばかり進んでいるからだという可笑しさもあるし、生きること、否、生き残ることに人間以上に必死だと思える彼らには悪いが、最短距離で駆け抜けることの実現度の高さに対しても、どこか可笑しさを覚えている面がある。
 帰宅後、「横切る」という言葉が気になり始めた。また、横道に逸れている面は否めない気もする。そうだとすると、より一層彼らとは大違いというものだ。この「横切る」は、私の場合、身体的な動作としてよりも、頭に浮かぶ、ふと頭によぎる、という状態を表す動詞として使うことの方が多いことに今更ながらに気付く。そうでなくても、「浮かぶ」というのは連日使わないことがないくらい、この場所に限っても登場している。「浮かぶ」を全部「横切る」に置換しても、意味としては完全なる間違いとはいえないが、大袈裟な感じは増す。使いやすい便利な言葉として、「浮かぶ」を多用しているなと思った。