Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

自然な8,888円

 衣替えで意を決して、昨春購入した60ℓ程の容量があるボストンバッグに冬物を詰め込んだ。存外沢山入るものだ、これなら今年は案外楽に完了できるかも?と考えながら、クリーニング店に向かった。年齢や首から上を別にすれば家出のように見えなくもない。でももうそういう格好の家出もあるわけないか?と思った。
 クリーニング店では、昨年から見掛けるおじさんが、一人レジの画面をチェックしていた。私に気付いてマスクを鼻の上にまで被せているおじさんに、「ちょっと沢山あるんですが、お願いします」と声を掛けた。コートが3着、ブルゾンが1着、ウールシャツが1枚、ウールパンツが5本だった。意外と文字にすると多いようには見えないものだ。これを第一弾として、次の第二弾で全て出し終えることができそうだ。おじさんは丁寧さゆえのぎこちなさで、一つ一つに手で触れ眼鏡越しに確かめて、確実にレジに入力していく。そうこうしていると、次のお客さんが私の後に続いてきた。若い女性だった。結構時間を要するのは間違いない気がしたので、だんだん焦ってきた。まだまだ待たせることになれば悪いなと思ってふと見ると、そういう気遣いというか気にされることがないようにと、そんな意図も感じるごく自然な感じで、スマホを眺めていた。以前もここで書いたことがあったが、レジ前というのは、いつもこの他者の動作と自分の動作の関係に目が向かう。
 結果的に、実感としてはそれ程時間を要さなかったという頃合いで、会計となった。8,888円だった。「ポイントを使用しますか?」となったが、即「大丈夫です」と答えていた。また一昨日に続き、意図せず数字の話になるが、その数字に嬉しくなっていた。狙ったわけではもちろんないし、予想だにしていなかった。こういうことがあるのは、嬉しいものだ。今思えば、この揃い方や嬉しいという気持ちも、後ろに並んだ女性の多態度や、おじさんのぎこちなさと同じように、自然なもので信用できる。自分の感情ではあるが、愛おしく思えてくる。儚さと切っても切れないものだと思う。
 ATMで1万円を千円札で引き出すと、紙幣の向きが揃っていないことが、半々以上の確率で今もある。最近は揃っていることも多いが、3人くらいは紙幣の顔が下向きになっていることも多い。こうしたことにもまた、同じように儚さを覚える。紙幣の向きが揃っていたとしても、今日の8,888円の時程の嬉しさは湧いてこないが。紙幣の場合には、自分が一度支払い等で手放した紙幣と何年後かに全く別の購買時にお釣りや支払金として戻ってきて再会したとしたら、それは相当嬉しいだろうと思う。気持ちの上では値段が付けられないくらいだ。そう考えて、今日の8,888円という状況も、値段が付けられないことにようやく思い至った。