傘があるのにない
ビニール傘を空港のゴミ箱に捨てた。出掛けに雨が降っていた。折り畳み傘が壊れていて、ビニール傘を手にした。手にしながら、捨てることになるなとは思っていた。
昨晩、前乗りして簡易仮眠施設にいる時、傘を側に置いていた。施設に引き取ってもらえないか?とは思ったが、口にしないまま後払いの会計を済ませた。そして、早朝の搭乗手続きを済ませて、はっきり、言えばよかったと思った。「こういう引き取りサービスが空港にあればいいのに」という他人のせいにする考えが続いて浮かんだ。
捨てるという言い方に抵抗を覚えるくらいなら、事前に用意周到な計画を立てて準備したらいいではないか?と突っ込みながら、投函したという言い方に変えようとしたことに、狡さの根深さを見た気になった。これも、「根深さを見た」や「感じた」に書こうとしていた。雨のように、迷いという説明の傘に隠れた、原因を自分以外の外部に求める他者への依存がある。
都合の良い解釈ならまだあった。ゴミ箱には先客のように傘が捨てられていた。区分は「その他のゴミ」だった。それを見て、捨てやすくなったのではなかったが、暫く逡巡して「リサイクルされるかもしれないな」と頭の中で口にして捨てた。保安検査場では、複数のカゴに入ったビニール傘があった。