Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

そばぼうろ

 そばぼうろを久しぶりに食べた。幼少時、家庭の方針で、商品として並んでいるお菓子の大半が食べることを禁止されていたが、そばぼうろは、かっぱえびせんと並んで数少ない食べていいお菓子の一つだった。前回食べたのは、ここ5年以内いや3年以内なのは間違いない。私に限ってかどうかはともかく、こうした記憶があやふやな出来事を、メールやスマホの画像一覧で探って、自分が認識していた時期との差異を確認し、何らかの楽しい気持ちを得る、そんな行為が気付けば当たり前のように定着していると思った。
 ともかく、相当久しぶりとはいえないまでも、久しぶりに食べることになったが、何を以って定期的とするのかはさておけば、定期的に食べていれば、「食べ続けている」という言い方もできるなと思い当たった。この「~続ける」というのは、数年前、大体の動詞に付属できることを意識した際、その汎用度の高さに逆に不信感というか嫌気を覚えたものだが、今回は、それとは違って、行為の、数年や数十年単位での長期的な継続を示す、状態を表しているという意味でbe動詞的なものとして使っていた。それゆえ、嫌な気にはならず、すぐさま、そばぼうろを「作り続けた」という言葉が浮かんできた。
 続いて、「食べ続ける」に対して「作り続ける」があるとして、「では、どちらが先にあるのだろうか?」という問いが浮かんだ。「そんなの、商品としてのそばぼうろを作るがあるから、そばぼうろを食べるが成立するんじゃないか?!」という突っ込みも当然のごとく続いた。でも、「作り続ける」が残り続ける保証はどこにもないだろう。「作り続ける」には「食べ続ける」が大きく関与しているはずだと思った。そうなると、「食べ続ける」は「作り続ける」に収斂できると。
 以前もこの場所の別の記事で書いたが、このように二項対立のもの同士をどちらか一方に集めることができると、嬉しくなるのは今も変わらない。でも、すぐに「作り続ける」もまた「食べ続ける」に収斂できるではないか?!と突っ込むことになり、どちらも互いが互いに収斂できるというのは、悪くないが、自分の中において何も新しい考えではないな、と思った。
 今日は、午後から起きると、そんなことを頭の中で繰り広げながら、ずっと家で過ごしていた。遅い時間になり、ようやく外出すると、霧雨が降っていた。傘を持たずに出たので、これから雨足が強くなったら困るなと思いながら歩いていると、対向車のライトで映し出された霧雨が目に入った。身体で感じる雨よりも、何十倍も多く感じる雨粒がそこにはあった。こんなに降っているのかと思った。そして、「止んでいるようでも、雨は降り続けている」という言葉が浮かんだ。あまり、いい印象は覚えない。対置するものとして、「雨は止み続けている」を今思い浮かべた。これも決していい感じではない。いい感じにしたいので、考えることにする。今日はこれで休むので、考え続けるという言葉は使わないでおく。