Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

範疇と領域

 この前の国でも今居る国でも、早朝からの午前中は長らく、小鳥のさえずりが部屋の中を満たしていた。最初に耳にした時から、ついさっき耳にした時まで、何度聞いてもスマホのアラーム音のような人工的な響きに感じた。うまく人間は小鳥のさえずりを再現したものだと感心すべきところなのかもしれない。
 人間を起こすために鳴いているわけでは全くないはずだが、甲高く明るいさえずりとはいえ、カラスや鳩と比べると優し過ぎるので、目覚ましの力としては弱いように思う。それでも、昨夜遅くまで飲んだ割には、耳にしていることに気付き、ビュッフェのある時間に目覚めることができた。これは、小鳥の声だからという固定的な要因ではなく、普段多く耳にしている音ではないということが大きいように思う。普段は、線路に近い場所で寝起きしているから、音的には列車の通過音が専ら部屋を占有している。そして、どんなにガタゴト言っても眠ることはできるし、遅くまで飲んでいたら早朝には起きることができない。
 連日だとか四六時中だとかランダムに、その本人がこれまで耳にしたことがない音が、その本人の部屋を満たす目覚まし時計は、十分実現できると思った。「音の方が旅して自室にやってくる」と言えば、響きは別として聞こえは悪くない。でも、そうした一つとして同じ音はないという意味でのユニークな状態にも、やがて慣れてしまうだろうと想像することになった。そして、ようやく、異なる場所にいるということの意味の大きさと、人間を惰性から解き放つ外部環境の総合力を思った。こう書いていると、「では、実際の移動を伴わないで惰性にならないでいることはできないのか? それができる方が素晴らしいのではないか?」と疑問が浮かぶ。これに対し、まず思うのは、なんでもバーチャルだとかVRだとかを挙げるのではなく、要は現実の代替や模倣という再現ではない方向で、実現方法を考えたいということだった。それは現実でやればいいと思うからだ。まだ現実が存在するのだから。その答えだが、結局またしても、こうした書くということなのか?と思う。もう少し違うことが言いたいのだが。
 ともかく、迷ったり、意図しない場所に辿り着く場所の尊さを思う。あくまで意図せずであることが重要だと思う。意図して寝過ごす、意図して遭難する、そんなこと程愚かなことはない。17年程前に、飯田橋から荻窪に向かうはずが寝過ごして大槻に辿り着いたことがある。もちろん、意図したのではない。でも、そうなるだろうと分かっているべき飲み方をしていた。意図の範疇もまた、耳が捉える領域同様に存外広大なものだ。