Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

自然

 帰国してから、気付けば殆ど無意識のうちにまたマスクを着け始めて10日以上が過ぎた。変だと思った。その一方で、帰国前から変わらずに残った癖もある。周囲を自然な感じで警戒する癖だ。無意識のうちにといっても差し障りがないくらいだ。初の渡航前とは明らかに異なる癖だが、前回よりもより自然に根付いた感がある。
 こういう個人的なことを超えて、もっと大きなものとしては何が異なるのか? そう自問して、帰国後はスマホを触る人の多さにまず目が行ったことがある。明らかに異様に映っていた。そして、自分も半分嫌気を覚えながら、オフラインにして歩数を見ていたつもりが、Wi-Fi環境下ではすぐにメールをチェックしようとしている。全世界を遍くとは言わないまでも広範囲に回ったわけではないが、局地的にせよ、国外との断絶感から、日本のこの状態もまた海外に対しオフラインだなと思い浮かんだ。
 もう一つ、他人への極力関わらない感じも気になった。関わらないというより、正確には視線をまず向けない姿勢が自然と身に付いているように映る。風の国では、ちょっとトラムに乗るのを躊躇っていると、すぐに乗客がクレジットカードで乗れる旨、身を乗り出して教えてくれた。海外での注意事項を喚起する本やWEBサイトでは「親切な人には要注意。スリかもしれない」といったことが書かれている場合が少なくないが、これまた自然とそうは思わなかった。直感で分かっていたのだと思う。おそらく二度と会わない可能性の方が高いその名も知らぬ異国人は、目的の駅に着いたのだろう、私より先に一期一会の一期一会とでもいうべき、さらっとした態度で、私に目も合わさずに降りて行った。言葉が通じないから風通しが良くなることもあるのかと思った。
 「今、この場、この状況には何が蔓延しているのか?」という問いも浮かぶ。それは、「蔓延なのか?蔓延とは?何かがなくなることは、何かが蔓延するということを伴うのか?」という問いも生んでいく。スマホの前に眺めるべき問いが並んでいるということか? 自問への回答という機会は、旅の産物ということか?